生まれ変わったら地蔵

 

ザ・コーヴ

遅まきながら新潟でも上映が決まりました。8月16〜29日長岡・シネマチャオ 8月7日〜13日シネウインド

本日試写会を観て参りましたが、まず最初に思ったのは太地町を始め図らずも出演された皆様の心中。こんな理不尽な目に遭ういわれはありません。一方的に向けられた悪意を跳ね返すのは、どんな社会体制であっても、とても難しい。周囲の方の理解と善意に癒されることを心から望みます。


しかし、映画。これをドキュメンタリーと言えるなら真面目な監督はやってらんねーとか、他人の食文化を尊重しろとか、事実誤認も甚だしいよとか、そういうことを全部うっちゃって無心で観ると、面白いんだ。90分間ほとんど飽きさせない編集と、ハイテクとローテクの微妙なさじ加減(結構高そうな機材使って盗撮するけど、設置するための真夜中の大冒険とか、機材チェックしてるのは温泉宿で浴衣姿とか)、あえて敵を作る演出なのはバレバレなんだが、隠し撮りに成功するまでの展開がスリリング。ていうか、オモシロイ。


この映画の中心人物は、かつて「わんぱくフリッパー」でイルカの調教をし、出演者でもあったリック・オバリー。フリッパー役を務めたイルカが自分の腕に抱かれて自殺をしたと信じており、その後各地で飼育されているイルカを逃がして回り逮捕歴多数。しかもイルカは人間より高い知性を持っていると信じているおかしな人だ。おかしな人だからって、全部が嘘で、観る必然性がないかといえば、そうでもない。


イルカに含まれる水銀が、食用に適さない値かどうか。政府の調べでは大丈夫な範囲だけれど、日本政府の過去を見れば信用に値するのかと、映画は問いかける。自分たちもかなり嘘っぱちなんだが、だから自らに問わなくて良いということにはならない。


それにしても思うのは、こんなにおかしな人たちが堂々と胸を張って生きていられるのがアメリカという国なんだなぁってことだ。何の悲壮感もなく、太地町の人々が被る迷惑も顧みず、嬉々として信念を貫いている姿には、羨望を覚えた。こういうメンタリティーは、日本にはもちろんヨーロッパにもない。バカげたことを唾棄するのは知性や文化性だと思ったこともあったけれど、たとえバカげていても(本人は大まじめだけど)貫けば、もしくは表現できれば賞賛の対象になり得るというのは、アメリカのパワーの源の一つなんじゃないかと改めて感じさせられる。本当の表現の自由というのは、こういう状態を言うんじゃないだろうか。もちろんアメリカにもタブーはあるけれど。人口に占める阿呆の割合の多い国が、壁を破っていく。


再び太地町について。あれだけイルカがたくさんいるということは、魚はあんまり採れないんじゃないかと思う。イルカが来れば魚は逃げるか食われるかのどっちかだ。彼らにとっては、イルカは有り難い存在ではなかったかも知れない。太地町が育んできたイルカ猟の知恵と文化は尊重するとして、それを別のかたちで活かす道も探ってほしいと思う。あんな理不尽な映画に影響されるのではなく、町の未来を考えて。ということで。

 
2010年 7月 28日, 8:51 PM | colmn| You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.
 

Leave a Reply